ミミ―旅立の呼び掛け
20世紀の西側諸国では、出発が旅立ちのシグナルであり、旅自体をひとつの価値として捉えていました。しかし、現在ではあてどない放浪という概念はすっかり破綻しており、確実性というものが現在の目的地となっています。
MiMiコレクションでは、モードは、慣れた場所からあえて一歩踏み出す勇気や情熱の重要性を大胆に追求しています。
我々が現代を語る際には、グローバリゼーションという言葉がよく使われます。きわめて多岐にわたる欲求や願望は、現代ではおどろくほどの速さで物体と物質的な物の持つ不可動性と頑強な抵抗に突き当たってしまいます。モードの例で見られるような、デザインボキャブラリーのグローバルな仕組みには、それに対置されるもう一つの現象といえるローカルな仕組みが存在します。
トラディショナルな服装の中には、ローカルな語らいが在り続けます。そして、現代の流動性を象徴するかのように、この相反性がMiMiコレクションで明らかにされます。
すなわち、トラディショナルのシンボルとして-「昔はこうだったのだ」という感嘆として-まるで今はなくなってしまったもののように-最後の目撃者であるかのように。しかもグローバルな現代 -通信網、絶え間ない変化、消費中毒-と絡まりあって。
我々はモードの言語をモニュメントと見るのか?または始まりの連続と見るのか?何度も市場に登場し、様々な時代に創造された流行(モード)のリサイクル版のようなスタイルのコピーならば、モードはモニュメントでありアイディアのない生物と言えるでしょう。
また、時代の中で歪んでいく流行とでも言う現代における現象は、「エシック」又は「エスニック」の色彩を帯びた服に現れています。これらの服は※「ビオエシック」すなわち我々の良心を満たすものであります。これらの服も又、力もアイディアもありません。
オーガニック
しかし、モードというのは、現代生活の縮図です。エドウィナ ホールの服は、この力を持っています。モニュメントになり、モード市場に周期的に出現するデザインボキャブラリーを再利用するのではなく、現代を映し出す形態を創造しています。MiMiでは、服という形態の数々が生きることの可能性と「どこか別のところで」魅力的に見せる活力をも持っています。これらの服は、風雨を避けるテントのように、この中で人は安らげるのです。これらの服は、屈服で終わるのではなく、大海原や砂漠を渡る楽しさを表現しています。境界線を越える行為である可動性は偉大さの源泉-ミグレーション(外国への移住)と呼ばれる塀の間の現代の細く歩きにくい道に対抗する可能性をもっています。
これらの服は慣れた環境から身をもぎ離す勇気を持てと、我々に呼び掛けているのです。そして、これは「とてもここまでは出来ない」というものが放つ魅力でもあります。
こうして動く力が我々の胸に残るのです。
ここでサン-ジョン-ペルスの「アナバス」からの文を付け加えて引用しておきましょう:
そして洗濯物が高く舞い上がった!八つ裂きにされた神父のように・・・
MiMi=Migrationと他のMix,MinoritätなどのMiをあわせたもの
MiMi=日本語では耳の意味
sylvia kafehsy / translation masako kikuchi
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art direction / so+ba
photography / toshiki senoue
styling / hiromi sugiura
hair make-up / suguru choukan
models / mari takahashi, jess mantell, yuko wakana, sawamura, izaba



